個人的には、中学高校のどこかの時期は、やはり制服があったほうがいいんじゃないかと思っている。
若いある時期に、制服という制約を押しつけられることで、初めてたぶん、ドレスコードの地続きと、断絶と、そんな感情を体験できて、そのことにはたぶん、意味がある。
生徒手帳の音読を毎日強制したところで、面倒くさいなと反発されこそすれ、学生の行動は変わらない。ところがとりあえず制服というものを押しつけられた学生は、その瞬間から「彼は学生だ」という、社会での役割みたいなものから逃げられなる。「学生の振るまい」を周囲から強制されて、振る舞ってみて、それから初めて、それに反抗しようとか、これは良くないとか、そういう感情が生まれるんだと思う。
押しつけという体験がないと、「これはよくない」の、「これ」という原点が得られない。原点なんてないほうが自由だけれど、そういうものを押しつけられないと、反抗しようにも、どう反抗していいのか分からなくなるんだと思う。原点なしで反抗するのは、無重力空間に放り出された状態で歩こうとするようなものだから、管理するほうは、そのほうが楽かもしれないんだけれど。
制服が生み出す効果というものがあって、外観は、否応なしにその人の行動を制約するし、上手に使えればお互いの関係が上手くいく。
自由を知るために、自由にやるために、いろんな不自由を体験しておくことには、きっと大きな意味があると思う。