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人の評価を気にする者は人並みになる
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・「自分の思考」を言葉に変えること自体がまず難しい。
・自分の思考を言葉に出来たとして、それを相手に伝える手段が基本的にノイズだらけ。
・その言葉が、誤読・誤解なしで相手に伝わることすら保証されたものではない。ベストエフォートもいいところ。
・苦労して間違いなしで相手にその言葉を届けたとしても、それをどう受け取るかの決定権は相手にしかなく、基本的に人は自分の受け取りたいように言葉を受け取る。聳え立つ幾つものハードル。最後のヤツが一番高い。「人は読みたい内容を読む」というヤツだ。
まず最初に、自分の思考を「適した」言葉に変えることが出来るかどうかというのが表現のハードル。それを間違いなく言葉に乗せて、例えば口で喋ることで、あるいはメールで、あるいはブログで、相手に伝えることが伝達のハードル。
そして、それがどんな言葉であれ、複数の解釈を許す言葉がたくさんの人に届いた時、大抵の場合「書いた人が伝えたかった意味」は確率の問題でしか届かない。「言葉を受け取る人は、自分の理解したい様に言葉を理解する」という大原則が存在するからだ。複数の解釈を許さないような「厳密な言葉」は、そもそもあまり理解してもらえない。これが理解のハードルだ。
自分の考えが相手に適切に伝わるというのは、普通に生活しているとそれ程珍しくないように思えるかも知れないけれど、多分本当は、物凄く幸福な偶然なのだ。それは、多分信頼とか、あるいは相手の理解しようとしてくれる姿勢とか、たまたま上手い言葉が思い浮かんだ幸運とか、時には錯覚とか、そういった色々な土台に支えられている。日常生活でさえ、多分、そうなんだと思う。
そんな土台がない場所での言葉は、「基本伝わらないもの」と覚悟して言葉を作るのが、真摯に言葉と向かい合う時の前提なのではあるまいか。
言葉は伝わらない。言葉が思った通りに伝わるのは、当たり前のことなのではなく、窓と窓の隙間を潜り抜けててんとう虫が飛び込んでくるような幸運だ。
だからこそ、そのほんの僅かな隙間の先にある幸福を求めて、我々は必死に「少しでも理解してもらえる言葉」を捜そうとしてあがくべきなんだと。伝わらないことを承知で千、万の言葉を積み上げるべきなんだと。
私はそんな風に思う。
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芸術、アート(art)の語源はラテン語のアルス(ars)で、技術、才能などを意味したが、さらにその語源を遡るとギリシャ語のテクネ(techne)に行き着く。テクニック、つまり「技術」の元となった言葉は、「芸術」を意味していた。ちなみに芸術家(artist)と職人(artisan)の出自も同じ。
テクネには、「内在する原理を正しく理解した上で何かを為す(ものを作る)能力」と「金細工師がもっている実用以上の装飾技術、能力」という意味があった。
芸術が「内面の表出」とか「価値観の変革」といったいささか文学的哲学的な観点で語られるようになったのは近代以降であって、芸術にはもともと、「物事の原理の理解」と「実用という目的を持たない技術」という二つの意味があったのだ。
これはなかなか核心を突いた定義である。アーティストとは、それぞれのジャンルの原理や法則を理解した上で、実用とは直接結びつかない方法や技術でもって、何かを作り出している人々。確かにその通りじゃないですか?
作曲家は音や響きの法則を駆使して音楽を生み出すのだし、画家は平面と色と形の原理を知り尽くした上で絵を描く。ダンサーは身体の法則を熟知して跳んだり跳ねたりする。それはまったく実用的ではない、具体的な目的を持たない動き、技である。それが鑑賞の対象となる。
古典的なアーティストだけではない。ヘア&メイキャップ・アーティストと呼ばれる人々だって、人間の髪や骨格、皮膚の原理を正しく理解した上で、実用とは言えない技をそこに施す。すばらしいと言われるのかケッタイだと思われるのかは、また別の話だ。
芸術性とか表現力といったものは、技術を超えたところ、技術とは別次元に、ふわふわと存在しているものではない。なぜそれがすばらしく見えるのか、心に直接訴えてくるのか、打ちのめされるような感じを与えられるのか‥‥を、対象に密着して丁寧に分析していくと、それらはきちんと技術の問題として捉えることができる。
たとえ表現者がどんなに強く熱いマグマのように狂おしい表現意欲を抱えていても、「ああ‥‥これこそ芸術だな」と人に思わせるのには相応の技術が必要である。そこで、どれだけの技術がどのように組み立てられているか、それによってどのような効果を発揮しているか、様々な要素に分解して検証することは可能である。
もちろん派手な超絶技巧や、いかにも血と汗の訓練の賜物に見えるものだけが、技術ではない。まるでテクニックを投げ捨てたかに見える表現(こういう時によくピカソが例に出されるが)においても、素人目には正統派の巧さに見えないという形で技術が使われている。これはすべての表現ジャンルで言えることである。
その技術を、表現者は悪魔の如く周到かつ入念に使いこなす。まるで技術を超えた何かすごいものが、今まさにそこに立ち現れているかのように、技術を駆使して表現する。それがあまりにも巧みに組み立てられているので、見る者は「技術がすごい」以前に、「芸術的だ」という感興を抱くのである。
技術は「内在する原理の理解」という思索とセットになって、その表現のありとあらゆるところに遍在している。私たちが「芸術だ」と思っているものの正体は、つきつめていくと技術に還元される。
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本当に相手のことを考えて信じていた人は、嘘は見抜けなかったとしても、相手がどうしてその嘘をついたのかはわかる。「この人ならそうなるだろうな」って理解できちゃう。そういうとこがわかった信頼でないなら、信頼の側にも、どっか嘘があったんだろう。引き受けるとか信じるとかは、簡単じゃない。
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上手くいっているとき、たいていの人は「何となく」振る舞う。上手くいっているときには、些細な瑕疵は「結果オーライ」で容認されてしまうから、振る舞いにはある程度の幅が得られる。上手くいっている人は、だから自由に好きなように、「何となく」振る舞って、結果として上手くいく。教科書を何冊読んだところで、「何となく」は、変わらない。教科書に書いてあることは、たしかによくまとまっているのかもしれないけれど、それはその人の振る舞いを言語化したものとは違うから。
何となく上手くいく体験を重ねてきた人が、あるとき高重圧の環境に晒されると、「何となく」を忘れてしまう。研修医が離島に放り出されたときとか、しばしばこんな「何となくの忘却」を体験するんだけれど、その時に教科書を開いたところで、そこに書かれていることは、普段の自分とは全然違ったやりかただから、いきなりそれに従ったところで、上手くいくわけがない。
重圧の高いところで上手くやるためには、だから動作から「何となく」を追放する、上手くいっているときの自分の動作を言語化ないといけない。
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「でもほんとにどうでもいい人っていない、そうだと思ってもちょっと話すとそうじゃない、すごいむかつく、だって結局、誰もモノじゃない、誰だって適当に扱っていい相手じゃない、私の気を紛らわせる道具になんかなってくれない、それがすごくいや」
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シリアスかつカジュアルに「死にたい」と口にする人は、でも、「死ぬのちょーたのしみーッ! 死にたくて死にたくてたまんない! どうやって死のうか迷っちゃうなー! あー早く死にたい!」という感じにはあんまりならない。
だいたいの場合「死にたい」は皮をはいでいくと「もっと楽しく生きたい」「もっと充実感をもって生きたい」になる。
「もっと楽しく生きたい」→ だけどそれは自分には無理ぽい → だったら「死にたい」、そういうことだと思うんだけど、これが感情の加工です。
出だしから「死にたい」だったら「死ぬのちょーたのしみーッ!」ってなるはずなんだよね。
そうならないってのは、欲望と直結してないってことで、それはつまり加工された感情ってことです。
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僕たちは「いい人」であることを「生まれ持った性格」だと思いこみがちですが、実際に「いい人」でいるために必要なのは、ちょっとした「気配り」や「他人の話をキチンと聴くこと」「自分がキツイときでも八つ当たりしないこと」など、「誰にでもやろうと思えばできないことはないこと」ばかりです。でも、これをいつでも、誰に対してでも続けていくのは、本当に大変なことなのでしょう。
【「自然にしてるというよりも、目指さないとできない。子供が『ツルベ!』って言ってくれるのは、『ツルベ!』って言ってもらおうと思ってやってることなの。だから自然じゃないよね。だけど、そうやってることが三十八年続くと、もう自然なの。だからよう言うの。俺、ホンマにどんな性格かもわからんようになってもうたって」】「いい人」っていうのも、ひとつの「芸」なのかもしれませんね。
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絵描きさんのROM批判にいつも居心地の悪さを感じる。稚拙な返しだけど、じゃあ楽器が弾けない僕は音楽を突っ込んで聴いてはいけないのかな、という点に行き着く
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ジャーナリストが職業であるべきか否か、が問題なのではありません。問題は、人々が望む情報を、望む形で得られるかどうかという点です。マーケットプレイスがこの問題を解決してくれるでしょう。私たちがネットに付加価値を与え続ければ、お金を稼ぐ方法も見つかることでしょう。しかし私たちの行為すべてがお金を生み出す必要はありません。
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でも、僕はこれを読みながら、「内容と置かれた状況との関連」云々ではなく、「人がどん底の状態にあるときに、とりあえず気を紛らわせて、時計の針を進めてくれる」というのは、間違いなく「表現の大きな役割」であり、「たしかに文学に限らず表現というものは、こういう瞬間のために存在すべき」なのではないかと思ったのです。
大事な人を失ったとき、失恋したとき、あるいは、もっと身近な例としては、夜なかなか寝付けないときや何もやる気力がおきないとき……
そんなとき、僕を優しく包んでくれて、「充電期間」を与えてくれたのは、さまざまな「表現」たちでした。「感動の超大作」こそ表現の醍醐味だともてはやす人は多いけれども、本当に落ち込んでしまって「うけとめる力」も涸れてしまっているときには、「くだらないギャグマンガ」や「淡々としたエッセイ」が、僕を救ってくれたこともたくさんあったのです。
表現された「内容そのもの」に救われるのではなくて、「何かに没頭することによって、時間をやり過ごすこと」のほうが、結果的には多かったのではないかという気もするんですよね。「本当に辛いとき」の最大の特効薬は、「時間の経過」なのですから。「時間つぶし」「気分転換」というのは、一般的には褒め言葉ではありませんが、それこそが、「表現の大きな役割」なのではないかと僕はこれを読みながら感じました。「勇気」とか「感動」なんていうのは、副産物でしかないんですよね、きっと。
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r ‐、
| ○ | r‐‐、
_,;ト - イ、 ∧l☆│∧ 良い子の諸君!
(⌒` ⌒ヽ /,、,,ト.-イ/,、 l
|ヽ ~~⌒γ ⌒ ) r'⌒ `!´ `⌒) よく頭のおかしいライターやクリエイター気取りのバカが
│ ヽー―'^ー-' ( ⌒γ ⌒~~ / 「誰もやらなかった事に挑戦する」とほざくが
│ 〉 |│ |`ー^ー― r' | 大抵それは「先人が思いついたけどあえてやらなかった」ことだ。
│ /───| | |/ | l ト、 | 王道が何故面白いか理解できない人間に面白い話は作れないぞ!
| irー-、 ー ,} | / i
| / `X´ ヽ / 入 |復習登録日 : 2009年08月04日復習した日 : 2009年09月11日次の復習日 : 2010年03月12日 (あと 1 回)ドキュメント形式 : default -
グーを出すよと言った後ホントにグーを出せ
たとえ負けても約束を守る人という印象を与えるんだ復習登録日 : 2009年08月04日復習した日 : 2009年09月11日次の復習日 : 2010年03月12日 (あと 1 回)ドキュメント形式 : default -
大音量で音楽鳴らして走っている車からいい曲を聴いたことがないように、声がデカいやつの意見にはロクな意見がない。真実は常につぶやかれるものだ。
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ある時、芸術家の岡本太郎は、
パーティーで乾杯の発声を依頼されて、
「この酒を飲んだら死んでしまうと
思って飲め、乾杯!」
と叫んだという。復習登録日 : 2009年08月03日復習した日 : 2009年09月11日次の復習日 : 2010年03月12日 (あと 1 回)ドキュメント形式 : default -
枯れ草を使った薪がモチベーションだとする。
枯れ草とはいえしけって入ては火がつかないかすぐ消えてしまう。モチベーションのうち、発火に注目をしているもろもろの方法は所詮きっかけのレベルです。そしてきっかけなんてものはかなり手に入りやすい。それよりも草がいかほど乾いているかが大事。草を育てて収穫して乾かしていくみたいな統計的な管理が必要なこともモチベーションの特徴。
草をよく育てるには太陽が必要。これが食事。水が必要。これが睡眠。根をはるために土をつくっておいてやる必要がある。これが運動。この三つがもっとも大事。あとは刈り取って、よく乾かす。これはあらかじめ心の中に知識や、ジョブスがいうような「ドット」をつくっておくこと。あとは発火因子がくればよりよい。一度火がついていたとしても、どちらかというとぬらさないこと、乾いている草を投げ続けることのほうがはるかに大事。一度火がついている状態で乾いてさえ入れば火はきえない。炎の量が多すぎて枯れ草のストックがなくなるとだめになるし、炎を制御できていないだけではなんにも運用できない火にしかならない。
繰り返すけど、食事と睡眠と栄養の質に管理的に投資することだと思う。
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生の始まりは化学反応にすぎず
魂は存在せず
精神は神経細胞の火花にすぎず
人間の存在はただの記憶情報の影にすぎず
神のいない無慈悲な世界でたった一人生きねばならぬとしても…なお…なお我は意志の名の元に命ずる
「生きよ」と!!復習登録日 : 2009年08月03日復習した日 : 2009年09月11日次の復習日 : 2010年03月12日 (あと 1 回)ドキュメント形式 : default -
ステップ1: 紙を取り出す、もしくはワープロソフトを立ち上げる
ステップ2:表題として「人生における本当の自分の目標はなにか?」と書く
ステップ3: この問いに対する答えとして頭に浮かんだことを次々列挙する
ステップ4:泣けるまでステップ1~3を繰り返す。涙が出てきたらそれがあなたの目標。
答えを列挙するときは、文でなくフレーズやキーワードだけでもOK。同じような答えが続いても構わないそうで涙が自然と溢れてくるまでどんどん書き続けることがコツ。一人になれる場所で集中して取り組むのもポイントです。たいてい15~20分程度で頭の中が整理され、平均50~100程度の答えを書けば、おのずと人生の目標としていることがはっきりしてくるそう。ちなみに、Steveさんは25分間をかけ、106つ目の答えで自分の目標にたどり着いたとのこと。
復習登録日 : 2009年08月03日復習した日 : 2009年09月11日次の復習日 : 2010年03月12日 (あと 1 回)ドキュメント形式 : default -
4 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/27(月) 20:48:014 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/27(月) 20:48:09.00 ID:c7F+jHPtO
・部屋片づけ
・散歩
・メモをとりまくって内容も消化する
・早寝早起き
・偏食せず腹八分目これの習慣つけてると勝手に頭良くなるよ。
132 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/07/27(月) 22:34:08.70 ID:r0ZRPqNoO
確かに»14が出来るやつは出世する復習登録日 : 2009年08月03日復習した日 : 2009年09月11日次の復習日 : 2010年03月12日 (あと 1 回)ドキュメント形式 : default -
ロイヤルストレートフラッシュが5連続することはたぶん有り得ないけど、実際起こった後で「なぜそれが起こったか」なんて考えても意味はなくて、強いて言うなら「その確率がゼロではないから」だ。
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