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— 不倒城: 自分が思った通りに自分の言葉が伝わるというのは、とても幸福な偶然なんだと思う
・「自分の思考」を言葉に変えること自体がまず難しい。
・自分の思考を言葉に出来たとして、それを相手に伝える手段が基本的にノイズだらけ。
・その言葉が、誤読・誤解なしで相手に伝わることすら保証されたものではない。ベストエフォートもいいところ。
・苦労して間違いなしで相手にその言葉を届けたとしても、それをどう受け取るかの決定権は相手にしかなく、基本的に人は自分の受け取りたいように言葉を受け取る。聳え立つ幾つものハードル。最後のヤツが一番高い。「人は読みたい内容を読む」というヤツだ。
まず最初に、自分の思考を「適した」言葉に変えることが出来るかどうかというのが表現のハードル。それを間違いなく言葉に乗せて、例えば口で喋ることで、あるいはメールで、あるいはブログで、相手に伝えることが伝達のハードル。
そして、それがどんな言葉であれ、複数の解釈を許す言葉がたくさんの人に届いた時、大抵の場合「書いた人が伝えたかった意味」は確率の問題でしか届かない。「言葉を受け取る人は、自分の理解したい様に言葉を理解する」という大原則が存在するからだ。複数の解釈を許さないような「厳密な言葉」は、そもそもあまり理解してもらえない。これが理解のハードルだ。
自分の考えが相手に適切に伝わるというのは、普通に生活しているとそれ程珍しくないように思えるかも知れないけれど、多分本当は、物凄く幸福な偶然なのだ。それは、多分信頼とか、あるいは相手の理解しようとしてくれる姿勢とか、たまたま上手い言葉が思い浮かんだ幸運とか、時には錯覚とか、そういった色々な土台に支えられている。日常生活でさえ、多分、そうなんだと思う。
そんな土台がない場所での言葉は、「基本伝わらないもの」と覚悟して言葉を作るのが、真摯に言葉と向かい合う時の前提なのではあるまいか。
言葉は伝わらない。言葉が思った通りに伝わるのは、当たり前のことなのではなく、窓と窓の隙間を潜り抜けててんとう虫が飛び込んでくるような幸運だ。
だからこそ、そのほんの僅かな隙間の先にある幸福を求めて、我々は必死に「少しでも理解してもらえる言葉」を捜そうとしてあがくべきなんだと。伝わらないことを承知で千、万の言葉を積み上げるべきなんだと。
私はそんな風に思う。
復習登録日 : 2010年03月04日復習した日 : 2010年04月14日次の復習日 : 2010年10月13日 (あと 1 回)ドキュメント形式 : default