編集しないナマの現実って、そのまま他人に伝えた所で何の価値もありませんもの。他人の子供の、編集してないハンディカム動画を延々と見せられる際の、あの何とも言えない『しびれが切れる』感覚
作家鈴木光司さん曰く表現する事は勇気を持つ事。花は美しいというと「美しくない花もある」という人が出てくる。そのクレームを想定し「美しい花もあるが美しくない花もある」と書く。それはもはや言う必要のない文となる。全ての人が納得する文では表現にならない。勇気が必要なんだ。力をもらった。
【音源の渡し方】「これまだデモ段階です」「これまだ仮MIXです」「これまだマスタリング前です」といった言葉ほど聴く気をそがれるものはありません。エクスキューズなしで渡すか「これ聴いたらマジで明日からアンタの人生変わるけど覚悟できてる?」くらいのハッタリをかますとみんな必ず聴きます
「なにかを表現したい、自分の存在を示したいけれど、なにをしていいのかわからない人たち」がいて、表現難民と呼ぶらしい。表現すべき確固たる自分がある、という思いこみからそのような悩みが生まれてしまう。表現とは、まだ知らない自分自身を発見するための行為なのに。[朗読演出家・水城雄]
、先輩編集者に習った企画3原則。 1:「裏返す」(常識や通念の反対を考える) 2:「くっつける」(異質なものをあえて合わせる) 3:「突き抜ける」(現実や仮定を極端に推し進める) この3つの組み合わせで企画を考えろ、と教わった。今でも結構役に立つ。
生きてる価値もないけれど、死んでも値段はあがりません(JOJO広重ブログ)
どんなに精密な地図を持っていたとしても自分がどこにいるかわからないと意味が無い。自分がどこにいるかは他人が教えてくれる。他人が言ってる事を聞かない人間はいつまでたっても自分がどこにいるのかわからない。
本当に相手のことを考えて信じていた人は、嘘は見抜けなかったとしても、相手がどうしてその嘘をついたのかはわかる。「この人ならそうなるだろうな」って理解できちゃう。そういうとこがわかった信頼でないなら、信頼の側にも、どっか嘘があったんだろう。引き受けるとか信じるとかは、簡単じゃない。
万人に理解されなくともよい、十分に理解されずに批判を受けるのは仕方ないと思って生きてきましたが、4年前に特捜部に逮捕拘留されて考えが変わりました。面倒でも理解されるように地道に説明しないと、夢も実現できなくなります。だから仕方ないけどがんばって説明しようと思っています。